こんにちは。「だいち」です。

先日、妻と話をしていて、妻の母である義母の話になりました。
妻が言うには、義母は毎月の年金の中から〇万円を貯金することを目標に生活しているらしいのです。

普通に食べたいものを食べ、やりたいことをやって、それで余る分には結構なことだと思いますが、もし何かを我慢したり、節約を頑張る必要があるのであれば、もう少しで80代に手が届きそうな義母にとって、その貯蓄目標は必要なんだろうかと思います。

貯金をして何かを買いたいとか、どこかへ行きたいとか、具体的な使い道の目標があるならば、それが生きがいとなっていいのかもしれませんが、ただ単にお金の不安を埋めるために、貯蓄額を増やしたいだけならば、ちょっと考え方を変えた方がいい年齢だと僕は思います。

義父が亡くなった後の手続きを手伝い、僕も義母の経済状況をある程度把握していますが、持ち家もあり、義母ひとりが生きていくには、仮に100歳まで生きるとしても大丈夫であろう貯蓄と、サラリーマンの妻としては恵まれた年金額を義父は遺してくれています。

お金を使う満足感よりも、貯める安心感の方を優先したい気持ちは僕の中にも根強くあるのでわかるのですが、その気持ちはエンドレスなので、どこかでゴールを決めないといつまでも安心できないまま一生を終えることになってしまいます。

いくら貯めたって、お金の不安をゼロにすることは不可能だと諦めて、その不安を減らすためには、まず自分が1年間生きていくために必要なお金と、見込める収入を把握して、その差額に自分が生きるであろう見込みの年数を掛けた金額に、自分が安心できるくらいの予備費を足した額を自分の貯金のゴールに決めてしまうことです。
そして、ゴールに到達できれば、もう貯める努力はせず、自分の生き方や生活を充実させることに努力すると自分に言いきかせることです。

その考え自体が言うのは簡単でも、実際にゴールにたどり着けるのは限られた恵まれた人だけかもしれませんが、少なくとも義母は十分ではないかと僕は思っているので、意味なく貯めるよりも楽しむことに使えばいいのにと思ってしまいます。
せっせと貯めても、死んでしまえば終わり、最悪その一部は国に持っていかれてしまいます。

この「貯蓄額にゴールが必要」と言う考えは、アーリーリタイアの不安を抱える自分に自分で言い聞かせ、自分を納得させるための言葉でもあります。